Facebookの投稿で面白い記事を見つけました。
http://buzzmag.jp/archives/73122
ユニークですよね。
わたしも販売業をしていたので、この店主の気持ちがよくわかります。
フランスにあるカフェみたいですがどの国も同じなんですね。
この看板の効果がどんなもんだったか知りたいところです。
そもそもなんでこんな看板を出さないといけないのか?
その理由を考えると、「お金」というキーワードに行きつきます。
詳しくは編集後記で・・・
■日刊YouTube
「お金が欲しいと思うほど稼げない」
-------------------------
■編集後記
わたしもお店で販売をしていたのでよく分かるのですが、態度の悪いお客がたまにいました。
俺は客だ。みたいな。
そういう人はね。アホですよ。笑
もう一度言いますね。
アホ。
相手が店の販売員だろうがなんだろうが人間なわけですから、大前提として人間と人間の接し方ができない奴はろくなもんじゃない。
逆もしかり。
お客に対して態度の悪い店員はアホ。
もう一度いいますね。
アホアホ。
あ、2回言っちゃった。笑
で、
なんでそんなことになってしまうのか。
考えてみました。
単純に感じが良いとか、人の気持ちを大事にするとか、
そういうコミュニケーション的な要素も要因としてあると思うのですが、
もう一方で、
「お金」というものに対する認識の違いもあるのではないかと思うのです。
お金は感謝の形だと思っています。
商品やサービスを提供してくださった人に対してありがとうを払う。
会社が従業員に対して、手伝ってくれてありがとうを払う。
こういう気持ちが少しでもあればあんな風にはならないと思います。
前にも同じ話をしたことがありますが佐野先生からお金の話を聞いたことがあります。
石器時代はお金というものがなく、モノとモノを交換していました。
しかし、モノとモノでは、価値の差があったり、すぐに腐ってしまうものがあったりするので、間に腐らない物体を経由させました。
最初は、貝とかお米でしたが、現代では紙幣や通貨というものに進化していきました。
モノとモノを交換していたときは交換する相手のことを、よく考えていたはずです。
彼が持っている槍が欲しい。
あの槍と同等のものは一体何だろう?
何を差し出せば彼は喜んでくれるのだろう?
最初はそういう考えから発達していったはず。
相手のことを考え、相手がありがとうと言ってくれるものを差し出そう。
お互いが「ありがとう」と言いあいながら交換するのがビジネスの始まりだったはず。
これが本質ですよね。
この感謝を忘れてしまったら一体どうなってしまうのだろう?
最終的に、幸福感というものを失ってしまうのではないかと思うわけです。
まぁ、そうなったことがないので分からないですが。
お金を使う時も、お金をもらう時も相手にありがとう^^を言える自分のほうが好きだし、
そのほうが人として生きてて楽しいと思うので、わたしは絶対にありがとうを忘れずに生きていきます。
大蔵のブログを少しでも楽しんでいただけた場合は
クリックをいただければとても嬉しいです!
大蔵悠生はいま何位?
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ユニークですよね。
わたしも販売業をしていたので、この店主の気持ちがよくわかります。
フランスにあるカフェみたいですがどの国も同じなんですね。
この看板の効果がどんなもんだったか知りたいところです。
そもそもなんでこんな看板を出さないといけないのか?
その理由を考えると、「お金」というキーワードに行きつきます。
詳しくは編集後記で・・・
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わたしもお店で販売をしていたのでよく分かるのですが、態度の悪いお客がたまにいました。
俺は客だ。みたいな。
そういう人はね。アホですよ。笑
もう一度言いますね。
アホ。
相手が店の販売員だろうがなんだろうが人間なわけですから、大前提として人間と人間の接し方ができない奴はろくなもんじゃない。
逆もしかり。
お客に対して態度の悪い店員はアホ。
もう一度いいますね。
アホアホ。
あ、2回言っちゃった。笑
で、
なんでそんなことになってしまうのか。
考えてみました。
単純に感じが良いとか、人の気持ちを大事にするとか、
そういうコミュニケーション的な要素も要因としてあると思うのですが、
もう一方で、
「お金」というものに対する認識の違いもあるのではないかと思うのです。
お金は感謝の形だと思っています。
商品やサービスを提供してくださった人に対してありがとうを払う。
会社が従業員に対して、手伝ってくれてありがとうを払う。
こういう気持ちが少しでもあればあんな風にはならないと思います。
前にも同じ話をしたことがありますが佐野先生からお金の話を聞いたことがあります。
石器時代はお金というものがなく、モノとモノを交換していました。
しかし、モノとモノでは、価値の差があったり、すぐに腐ってしまうものがあったりするので、間に腐らない物体を経由させました。
最初は、貝とかお米でしたが、現代では紙幣や通貨というものに進化していきました。
モノとモノを交換していたときは交換する相手のことを、よく考えていたはずです。
彼が持っている槍が欲しい。
あの槍と同等のものは一体何だろう?
何を差し出せば彼は喜んでくれるのだろう?
最初はそういう考えから発達していったはず。
相手のことを考え、相手がありがとうと言ってくれるものを差し出そう。
お互いが「ありがとう」と言いあいながら交換するのがビジネスの始まりだったはず。
これが本質ですよね。
この感謝を忘れてしまったら一体どうなってしまうのだろう?
最終的に、幸福感というものを失ってしまうのではないかと思うわけです。
まぁ、そうなったことがないので分からないですが。
お金を使う時も、お金をもらう時も相手にありがとう^^を言える自分のほうが好きだし、
そのほうが人として生きてて楽しいと思うので、わたしは絶対にありがとうを忘れずに生きていきます。
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